最近自分が妖怪かも・・・と思い始めているにゃんきちです。
「千と千尋の神隠し」でみんなが不思議な、ノスタルジーな気分になる電車のシーンありますよね。雰囲気も音楽も最高だし、私はあのシーンめちゃめちゃ大好きです。
そんな電車シーンですが、「電車についている”中道”って表記は何?」「6番目の沼の底という駅で降りる」「だいたいあの電車はいつから走っているのか」「どこへ向かっているのか」と不思議な疑問や何か意味があるのでは・・・みたいな部分がちょこちょこあります。
気になってしまったので、私なりに考えてみました。
「千と千尋の神隠し」電車のシーンに至るまでの軽いあらすじ
千尋はハクを助けるため、ハクが盗んだ銭婆の魔女の契約印を返して銭婆に白の命を救ってもらうようにお願いに行くことに決めます。
そして千尋は、釜爺からもらった切符で電車に乗って銭婆の家まで向かいます。海の上を走る電車内は黒い半透明の乗客が乗っていて、窓からはたまには海の上の島に家があったり、踏切が見えます。
六番目の沼の底という駅の意味
釜爺が千尋に電車の切符をくれた時に言った台詞です。降りる駅を間違えないことやとにかく六つ目の駅で降りることをしきりに伝えていましたよね。
「四十年前の使い残りじゃ。いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ。」
「とにかく六つ目だ。」
40年前の使い残しの切符なので、この電車は40年以上は運行しているようです。
「六番目の駅で降りろ」「間違えるな」と釜爺は言っていました。この”正しく電車に乗って六番目に降りなければいけないよ”というこれは「六道輪廻」の考え方をモチーフにしているのでは・・・?と色々調べた結果、思いました。
仏教の中には「六道輪廻」という考え方があります。下記の①〜⑥を延々と巡り私たちはの魂は生きていく、苦しみから逃れることは煩悩(欲望とか)を捨てて解脱しない限りできないよっていう考え方です。
加えて、この六道の道を誤った方向で外れてしまうと「外道」というところへ行ってしまい、正しい道から外れてしまったために正しく解脱することも出来ず救済されることはない…などと言われているようです。
千尋は電車に乗り、駅を目指す。
けれど、釜爺に言われた通り正しく電車に乗ってちゃんと六つ目の駅を降りれなければ、「六道」を外れてしまい「外道」に落ちてしまう。
外道に行ってしまっては、元の世界には帰れないし、救われることはない。そんな暗示だったのかもしれません。
また、六つ目の駅名は「沼の底」っていう場所でしたよね。
「沼」って底なし沼だったり、死へ導くような、底知れない怖い不気味なイメージがあると思います。(「沼の底」は底があるからまだマシなのかもしれませんが・・・。いや・・・それとも底なんてないのかな・・・???)
もしかしたら「沼の底」という駅に名前は、下へ下へ深く深く行った底の世界「地獄道」だったり、底知れない世界・・・「黄泉の世界やあの世に近い場所」を表しているのかもしれません。
電車に書いてある「中道」という表札の意味
千尋が乗ったあの電車には「中道」って言葉が書かれていましたよね。
「中道」って何だろうと思って調べた所、仏教用語などでも登場する言葉みたいです。両極端な考え方や、一方の概念に執着する生き方ではなく、一つの概念に執着はしない自由に考え生きることを意味するそう。(詳しくはWikipediaやコトババンクを参照)
噂ではこの電車は、死の世界へ向っていると言われています。
正しい道(中道)を通って正しく乗客(魂)を行くべき場所へ導いてくれている存在がこの電車なのかもしれません。
それがこの電車の表札が「中道」である意味であり理由なのかなと思います。
ただ、千尋は生者ですから、もし死の国へ向かう電車だとしたらあんまり乗っているのは良くなさそうです。
最後に一言
いかがでしたでしょうか。電車のシーンは疑問が尽きません・・・!
ということで今回は千と千尋の神隠しの電車シーンの「六番目の駅名」や「電車の表札”中道”」について仏教的な意味で考えて見ました。
ここまで読んで頂きありがとうございました!!
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