にゃんきちです。
鎌谷悠希先生が書かれた「しまなみ誰そ彼」という漫画を読見ました。
鎌谷先生は、「隠の王」っていう忍びの漫画とか、「僕ノート」とか書いてる人で、絵が細くて繊細な感じ。「中性的な人のキャラが好きだった」とか「細い感じで繊細なのイラスト」というイメージが私の中ではあります。絵も話も繊細で素敵な作家さんです・・・!
「しまなみ誰そ彼」についてにお話を戻します!
この漫画は、自分と性について悩み生きる人たちについて書かれた漫画です。
作者の鎌谷先生自身、自分はXジェンダー(男性でも女性でもないという性別)であり、また、アセクシャル(男女とも恋愛対象にはならない)でもあるということをおっしゃている方でもあり、漫画の中ではLGBTのリアルな気持ちや悩み葛藤を感じ取ることができます。
クラスに数人いてもおかしくない比率で、LGBTの人間は世の中にいると言われていますが、今の日本ではまだまだ・・・やはり少数派であることもあって、そういった悩みは相談し辛い世の中であると思います。
この作品を通じて、LGBTの人を特別視するのではなくて、こういう人もいるんだな、人それぞれなんだよという、感覚が広まるといいなぁ〜なんて思いました。
◆◆しまなみ誰そ彼 1 / 鎌谷悠希/著 / 小学館
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『しまなみ誰そ彼』あらすじ
「お前、ホモなの?」
主人公たすくがクラスメイトに「ホモ動画」を観ていることを知られ、そう言い放たれる場面から物語は始まります。
たすくは隠しているが、同性愛者。自分の性に対する在り方がバレてしまったのでは・・・とひどく怯え自殺をしようかと思っていたところ「誰かさん」という謎めいた女性に出会います。
そして「誰かさん」を通じて、たすくは談話室という場所に出会います。
談話室は、誰もが自分でいられる、自分らしくあれるそんな場所。その談話室のメンバーとの交流や人の生き方を見ていく中で、たすくは性との向き合い方、人との付き合い方、自分らしくあるということを知っていきます。
LGBT意識だけじゃない、この漫画から学んだこと!
談話室には、たすくの他にも女性の同性愛者のカップルや元女性の人(今は男性)、まだ自分がわからなくて悩んでいる人など・・・色々な人たちが居ます。
LGBTとして理解が深まったり、学べる部分もたくさんありますが、そういうLGBTという括りだけでなくて、いろんな括りを超えて「人の生き方」「考え方」「認め方」を学べる、感じることができる漫画だな〜と私は思いました・・・!
なので、私がこの漫画を読んで学んだり、心に響いたことを紹介させていただきます・・・!
「今の私を知っておいて欲しいということ。」
作中では、1組のレズビアンのカップルが出てきます。大地さんという女性は、両親に自分のパートナーが女性であること、自分がレズビアンであることを言えずにいました。両親は娘のが異性と結婚することを望んでいて、娘が同性愛者ということは露ほどにも考えていないようでした。(「同性愛者の結婚」をテレビ見て、親御さんが可哀想と発言するシーンがあるなど・・・)
そんなことで、大地さんも本当は両親に話したかったけれど、認めてもらえないと強く感じていました。きっともっと未来になれば、色々な性の形が認められて、「きっといつか両親も分かってくれる時が来る・・・その時まで待とう、その時まで・・・」と見えない「いつか」を想い続けます。
そんな時、誰かさんに作業中こう言われるのです。
「取り返しはつかなくなってもまあ風通しはよくなるし、後のことは後で巻き返せばいいでしょう。」
この言葉は、空き家を解体しようと作業する「誰かさん」の言葉で、別に大地さんの両親や悩みについて言ったわけではない。でも、この言葉に大地さんは気付かされます。
見えない「いつか」を想像しても今は変わらない。順序や手順にこだわって何もしなのであれば何もしていないことと同じだということ。
そして、今の自分は今この瞬間にしかいない、今の私を両親に知ってほしいし分かってほしいということ。
大地さんが両親に話した結果、喧嘩をしてしまっても、自分の気持ちを知って欲しい、今の自分を伝えたい、わからないながらも歩みよっていきたいんだという自分の気持ちに気付いたのです。
「私、女として女の人がすき」
「明日でも10年後でもなくて、今知っていてほしい。今の私を。」
(「しまなみ誰そ彼」第4話後編より)
本当の自分、今の自分を大切な人に伝えるということってすごく難しい。大切な人だからこそ本当のことを言いにくいっていうこともあります。しかも伝えても相手あ理解してくれるかもわからないし、否定されるかもしれない、傷つけられるかもしれない、取り返しのつかないことになるかもしれない・・・色んな不安が頭をよぎります。
でも伝えない限り「今の私」「やりたいこと」「気持ち」を伝えることはできなくて・・・。
確かに伝えていい方に行くのか悪い方に行くのかどうなるかわからない。けれど、伝えてみることで見える世界がある。互いに伝えたことで、お互いの考えていることが少し分かって、互いにあった厚い心の壁みたいなものが無くなって、風通しはよくなるのかもしれません。
何をするにしても踏み出さなければ変わらないし、踏み出さなければ見えない世界がある。
そんな世界から得ることができることは絶対にある。でも、同時に自分を開示して行くことの勇気の重さを感じました。
難しいね。でも、踏み出せる人間になりたいなあ。
「自分を認めるということ」「好きって素敵だなってこと。」
この漫画に出てくる人たちは、色々なことがあるけれど皆が、自分というものを最終的に受け入れていきます。
- 女性が好きな私
- 男性が好きな私
- 何が好きなのかわからない私
- 女になりたい私
- 男になりたい私
- 透明になりたい私

女の子の格好をするのが好きな男の子「美空」。まだ自分でもよく分からない
この漫画を読んで・・・当たり前ですが、「人ってそれぞれ性格も趣向も違う。だから誰しも人とは違う部分があるんだ」と思いました。
誰もが「皆はこうだけど、自分は違うな・・・」というところを抱えていると思うのです。
クラスで飛び抜けて絵が上手い人がいるとか、泳ぎが他の皆と違って苦手だとか、周りの子と違って自分の気持ちをうまく言葉にできないとか、人前ですごく上がってしまう、極端に傷つきやすい性格だ、人をまとめるのがすごく得意だとか。
金髪の人にときめく、長い髪の人が異様に好き、蛇にときめいちゃうとか・・・色々ありますよね、言わないけど皆絶対色々あると思います。なぜか好きなものが。
LGBTもそれと同じなんじゃないかと思います。
でも、みんなと違うことは何だかいけないような気がして隠してしまう。
でも「好き」って本当はとても素敵なことなんですよね。
私は昔アニメ好きなのが、なんだか恥ずかしくて、周りにもそういう子が居なくて、ずっと隠れてアニメ動画見たりしてました。でも、高校に進学したら、同じ趣味の子に出会ったりして・・・すごく世界が広がったし、いろんな話ができてすごく楽しかったことを覚えています。
自分が好きなこと、理解できることを、分からない人に伝えるのは難しい。でもだからといって、自分の「好き」「自分という存在」を否定する必要は全然ないんですよね。
「好き」のワクワク感やときめきは大切にしていきたいし、理解してくれる人や場所は絶対どこかにあって、そこでもっと自分の好きの花を咲かせて・・・自分を認めて生きていけるといいなって思います。
それに、自分を認めて生きている人って輝いているなって思います。
その姿にはやっぱり憧れるし、私も輝いて生きたいなって思います。
「人にはタイミングがあるってこと。」
作中には、小学校高学年の男の子、美空さんが出てきます。
彼は、談話室の中でのみ女の子の格好をしています。誰かに「服似合ってるね」と言われると嬉しそうな顔をしますが、まだ自分がなぜ女装をしてしまうのか、なぜこういうことをしたいのか分からず、、美空さんなりに色々悩んでいるようなのが伺えます。
そんな美空さんをたすくは、後押ししようと色々と提案するのですが、美空さんを傷つけてしまうことになります。
後からたすくは気づくことになるのですが、たすくの善意は美空さんの重荷になってしまった、何かを傷つけてしまったということに。「タイミング」が違った、今ではなかったということに。
人にはそれぞれの心の理解度、成長があって、タイミングがある。その人の「その時」がある。それは誰にも分からないし、誰かが決めるものでもない。
ただいくつもの「タイミング」「その時」を感じて自分の本当の姿、あり方、やりたかったことを理解していくのだと思います。
「善意が正しい訳では無い。沈黙は是であり、また逆も是。答えはない。」
作中にはいろんな考え方の人、接し方の人たちが出てきます。
その人は善意で良かれと思って言ったけれど、相手を傷つけたり、逆に傷つけられたり。
人には考え方の違いだったり、理解度の段階の差だったり、いろんな差があります。
思考のベクトルが違えば、良い人なんだけれど何かズレを感じたり、逆にズレていると思われてしまったり。
全ての行動がその人にとって嬉しいわけじゃない。
何かを言うときはそれなりの覚悟がいるし、傷つける覚悟と傷つけられる覚悟が必要だと言うことをこの漫画の中で教えてくれます。
「色々な形を受け入れるということ」
この漫画にはLGBTと言ってもいろんな人がいます。
LGBTって言葉でなんとな〜く一括りにされているけれどみんなが一人一人個性ある人間で、一人一人の自分のあり方や考え方があります。
男として男性が好きなたすく。一方で、男だけど、別に男性が好きなわけではない、けれど女性の格好が好きな美空。
女性として女性が好きな大地。そしてそんな自分をみんなに知って欲しいと思っている。
もともと女性だったけれど今は男性として生きる内海。彼は、逆にそんな自分を全てのみんなに理解されようとも、伝えたいとも思っていない、気負わないスタイルを持っている。
皆が皆のスタイルがあって、生きている。
当たり前だから、みんながそうだからとあまり考えてきませんでしたが、「女らしい」「男らしい」って何のかな。なぜ、男性はスカートをはいたり着飾ることがおかしいと思われるのかな。「良い人」「悪い人」って何のかな。
全ての物事は色々な見方ができるし、一面しかないと決めつけていたのは自分や世間の考え方で、本当は沢山の面が一つのことから見えてくるかもしれないんだと思います。
見るも見ないも自分自身。認めるも認めないも自分自身。
そんなことを考えさせられました。
「人それぞれ。」
これは私が長年ずっと思っていることなのですが本当に全ては「人それぞれ」に尽きるな〜って思います。
私は昔、高校生くらいの時だったかな・・・同性の女の子を好きになったことがあります。
私は好きになった人がたまたま同性だったくらいにしか思っていません。
私が恋をしたのはあの子だけであったとしてもです。
のちに異性と出会いがあって、結婚したとしても、そういう出会いがあって、彼が私を私が彼を選んだだけ。
他にも色々意見が合わなかったり、新しい考えにも出会ったりしますが、結局は「そういう考え方もあるんだ!」「そいう発想もあるんだ!」という思考になります。
なんだかんだと、壁を築いて、ややこしくしてしまいがちですが、100人いれば100人の考え方や生き方、在り方、幸せがあるんだと思います。
最後にひとこと
作中にこんな言葉が出てきます。
互いを分かり合えなくても、分かり合えないまま生きていける世の中がいい。
全ての人が全ての人を理解することは到底無理だと思います。
家族間ですら、理解するのに色々あるんですから・・・!
でも、いろんな人の考え、在り方があることを認めていける世の中になるといいなとやっぱり思いました。
ちょっと上手くまとまっていない部分もありますが・・・
今日は「しまなみ誰そ彼」についてでした・・・!いろんなことを学べる素敵な作品なので、ぜひぜひ見かけた際は読んでみると良いと思います」・・・!!
◆◆しまなみ誰そ彼 1 / 鎌谷悠希/著 / 小学館
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ここまでお読み頂きありがとうございました〜!!
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