【犬夜叉】白霊山の「綺麗は汚い汚いは綺麗」と白心上人

にゃんきちです。

すべての罪を清めるという白霊山。邪な心を持つ者、妖怪を寄せ付けず「清浄すぎる」と桔梗に言われるほどの霊山でもあります。

そんな、白霊山色々気になることがたくさんあるのですが今日は、そこに出てくる、山を清い霊山たらしめている「白心上人」や「清いとは」ということについて書きました~

漫画やアニメだけだと不明な部分もあるので私の推測で書いている部分もありますがお許しください……

スポンサーリンク




白心上人のわらべ歌と白霊山の清浄さ

桔梗は白霊山について、「綺麗はきたない、きたないは綺麗、良いは悪い、悪いは良い、生きるは死ぬる、死ぬるは生きる……白霊山は清浄すぎる」とも話しており、白霊山が力の強い霊山であることと並外れた清浄性を語っています。

また、アニメ犬夜叉の中で流れる「白心上人のわらべ歌」というものがあり、そこでも白霊山の清浄性が歌われているようです。

綺麗はきたない、きたないは綺麗、良いは悪い、悪いは良い、生きるは死ぬる、死ぬるは生きる~♪

白霊山周辺の子供たちが歌ってたりする。

清浄すぎるとは、綺麗は汚いとは?

白心上人のわらべ歌の意味

上でも歌詞を書きましたが……なんだか分かるようで分からないようなそんな不思議な歌ですよね。

光があるからこそ闇がある。綺麗だからこそ汚いものがある。死ぬからこそ生きることが尊くある。

全ては表裏一体コインの裏と表のようなもの、片方があるからこそもう片方が存在する。そういうことをこの趣味も歌で表しているのではと考えられます。

そもそも白霊山とはなんなの?

どんな罪も清めることができると言われる霊山。

その昔、白心上人という強い法力を持った高僧がおり、「お清め処」という寺院を開いて村の人々の助け、救ってきた。

白心上人は敵兵であっても「悪人なお持って往生す、いわんや善人をや。(悪人でさえ助かる、善人は尚更助かる。)」と言い、どんな人も隔てなく救う慈悲に溢れた方でした。

しかし長年の戦や飢饉や疫病との戦いの中で、白心上人も病にかかってしまう。死んでも、村の人々を守り、救うために白心は生き仏となることを皆に約束し、土の中に深く埋められることになります。

そうして生き仏、即身仏となった白心上人の霊力により、強く清められ、邪気を寄せ付けない場所となったのがこの白霊山と考えられます。

清浄すぎる白霊山

作中の桔梗よ「白霊山は清浄すぎる」という言葉が何だか気になってしまいました。清浄すぎるのは悪いことなのか?清浄すぎるってなんなのか

考えてみました。

恐らく、完璧な清浄とは、黒いものは全て排除し、白いものだけが残る。真っ白な世界。一点の曇りもない、許されない。

清浄すぎるとはそういうことなのだと思います。

綺麗なことはいいことです。気持ちいいし、明るい感じがする。

でも、その気持ちは「汚い」「暗い」「嫌な気分」を知っているから味わえる感覚だとも思います。一方を知っているからこそ、もう一方を理解できる。

真っ白な世界……そこにはきっと苦しもそして喜びもない、「無」の世界なのかも知れません。

最後にひとこと

綺麗なものは好き。でも、この好きも綺麗じゃないもの、嫌いという気持ちがあるからこそ味わえるものなんだなと、当たり前のことを思ってしまいました。

正しいこと、綺麗なこと、汚れていないこと。

この世も人間の心もが清浄になることは

多分ないと思います。でも、その中で生きるからこそ分かる「喜び」「幸せ」を見つけたい。

欠けているから美しい、そんな事を理解して行きたいななんて思いました。

ということで、今日は白霊山の清浄性や白心上人についてでしたー!!

ここまでお読み頂きありがとうございました~!!

スポンサーリンク




ブログランキングをみる

 

 

ブログランキングに参加してみました!

よろしければ応援お願いします…!


人気ブログランキング

 

 

シェアする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。