【アニメ犬夜叉第87話めぐる桔梗の孤独な旅路】救われたいと思う心・因果は巡る糸車

こんにちは、にゃんきちです。

今回はアニメ犬夜叉第87話から「救い」「因果応報」「巡る運命」について考えされられる部分があったので、そのあたりを絡めて書こうかな思います

良ければ読んでみてください

スポンサーリンク




▪️桔梗の孤独な旅路の中で出会う老野盗・勘助

奈落を探し1人旅を続けている桔梗は、途中で1人の老野盗「勘助」に出会います。

病を患いながらも勘助は自らの「死に場所」を探していた。

▪️勘助の過去と桔梗の縁

勘助は今でこそヨボヨボおじいちゃん。病も患い弱っていますが、以前は名の通った悪党でした。

戦いと血の耐えない戦国時代。

殺し、盗み、その他の悪事……勘助は沢山の罪を今まで侵してきた。

こんな時代に生まれた自分は、どうせすぐ野垂れ死にするだろう、短い命に違いない……勘助はそう思って今までやりたい放題の人生を送ってきたのです。

若き野盗時代、勘助には「鬼蜘蛛」という野盗仲間がいました。

ある時鬼蜘蛛は四魂の玉の噂を鍵つけ、勘助に取ってくれば願いが叶うぞとそそのかします。勘助は四魂の玉を取りに、玉を守る巫女桔梗を殺そうとしますが、その頃桔梗の側で彼女を守っていた犬夜叉に返り討ちにあってしまいます。

鬼蜘蛛は、犬夜叉の存在を知っており勘助を犬夜叉に殺させ、勘助の部下を奪っていこうという魂胆でした。

鬼蜘蛛の裏切りに激怒した勘助は、鬼蜘蛛のいた館に火を放ち大火傷を負わせます。

背中に蜘蛛のような大火傷を負った鬼蜘蛛。彼も運がいいのか悪いのか、死んでいませんでした。勘助はついには、瀕死の鬼蜘蛛を、崖から落とし、鬼蜘蛛は深い深い「奈落」の底へ落ちていきました。

ここで落ちていった鬼蜘蛛こそが、桔梗や犬夜叉たちの運命を狂わせた「奈落」だったのです。

その後、崖から落ちても死にきれなかった鬼蜘蛛(後の奈落)を見つけた桔梗は彼を介抱しますが……苦しくもその助け鬼蜘蛛は妖怪となり、桔梗を悲しい死へと繋げてしまういます。そして、多くの人たちの運命を狂わせていくことになるのです。

▪️勘助は何故「死に場所」を探しているのか

勘助は、どうせすぐ死ぬ身だと、周囲を顧みず悪事を働き好き勝手に生きてきました。

命なんて軽い。自分の命も軽い。どうとでもなれ。そうやって生きてきたはずでした。

しかしいざ、年を重ね、老いぼれて、病を患ってみたら「死」をリアルに意識するようになったのかも知れません。死ぬことが怖くなりました。

悪事ばかり働いてきたことは自分でも理解していました。自分は死んでからきっと地獄に落ちるのだろう……。しかし、死んで地獄に行くことが怖い、そう思うようになりました。

桔梗はそんな勘助に言います。

「救われたいのか」

そう、勘助は救われたい、許されたいと思っているのです。だから、自らを許してくれる死に場所を探し求めていたのです。

そんな勘助は告白します。

こんな悪党でも救われる場所があると聞いたんだ。

どんな罪も清められる、許される、救われる場所があるとのことでそこを自らの死に場所とするため、旅をしていたと。

▪️因果は巡る糸車

しかし、勘助は力尽き今際の際に桔梗に「自分の死に場所に、全てに救いの手を差し出すその場所に、自分の髷を納めてきて欲しい」と髷を切り落として桔梗に手渡し亡くなります。

勘助と鬼蜘蛛が出会い、争い、鬼蜘蛛を桔梗が助けた。奇しくもそれにより、鬼蜘蛛が桔梗に恋心を抱き、その煩悩が妖怪を呼び込み、奈落という存在を生み出してしまった。

「因果は巡る糸車か

桔梗はそうつぶやいて勘助の髷を胸に道を進みます。

「因果は巡る糸車」とは、因果応報、全ては繋がっているなどという意味。元ネタは何かあるのかな~と思って調べた所もNHKの人形劇「新八犬伝」の坂本九のナレーションで、「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」「因果はめぐる糸車、明日はわからぬ風車、臼で粉引く水車、我が家の家計は火の車、車は急には止まれない、すべて世の中堂々巡りーー」というものが有名のようです。糸車、水車と「回るものに」物事を例えているよう。「回る(まわる・めぐる)」「廻る(まわる・めぐる)」「巡る(めぐる)」と読み取ることもでき、全ての事柄はめぐり巡る、ということを指しているようです。

▪️人はどんな人も救われたいと思っている

人は誰しもが救われたい、許されたいと思っているのかも知れません。

悪事を働き、とても天国絵行けるような行いをしてきたとは言い難い勘助。それでも、やはり「救われたい」「許して欲しい」と思ってしまう。

どんなに強がっていたとしても、経験したことのない「死ぬ」ということは未知の世界で不安と恐怖を感じてしまうもの。

そんな未知の死後の世界への不安、地獄に落とされ苦しむかもしれない予感。

結果悪事を働いてしまった人たちも、恨みを抱えた人も、非業の死を遂げた人も・・・誰しも皆が本当は幸せになりたかったと思います。なりたくて、悲しい人生を歩んできたわけではないし、自分の人生は素晴らしいものだったと思いたいし、自分の生を認めて欲しいと何処かで思っていると思うのです。

最後の瞬間まで幸せを諦められない、誰かに自分の生を認めて欲しい、そんな思いが人に「救われたい」「許して欲しい」と思わせるのかもしれません。

深く深く「幸せになりたい」と思うほどに、幸せになれない自らに境遇が強調される、幸せへの執着が強まる、焦燥感だけが募っていく・・・そうすると決して幸せにはなれない。

「幸せになる(救われる)」にはまず自分が幸せだと思うこと、そして他者から認めれることが必要なのかなと私は思います。

▪️全ては小さなきっかけから、縁が繋がっている

宿敵妖怪・奈落は、勘助と出会わなければ、勘助が野党でなければ、桔梗が鬼蜘蛛の手当てをしなければ、桔梗が四魂の玉の巫女でなければ・・・・生まれることはなかったかもしれません。しかし、全ての事柄が合わさり運命を紡ぎ、奈落という存在を生み出してしまった。

見えないようでいて、世界に起こる全ての出来事は繋がっているのだろうと思います。

因果は巡る糸車・・・・ですね。

桔梗が勘助の髷を、「全ての罪が清められるという霊山」へと納めるため旅を進めることも、そこで出会う人々も何かの運命と繋がっているのです。

▪️最後のひとこと

「救われたい、許して欲しい」ってとても他力本願なようにも見えますが、本当に救われるためには自分自身も心から自分のことを認め許してあげなくてはいけないのかなと思いました。

でも、罪ってなんなのでしょうね。

人を殺すこと、盗むこと、騙すこと、それは良くないこと。誰かが大切にしている気持ちや思い、物を壊す行為だから。

でも、死んだらそんなこと、なんでもなくなってしまうような気もする。

死んだらどこに行くんだろう。すぐに生まれかわっちゃうのかな。

そんなとりとめも無いことを考えてしまいました。

そんなことで、今日は犬夜叉から学ぶ「救い」「因果応報」「巡る運命」についてでした!

読んで頂きましてありがとうございました〜!!

スポンサーリンク




ブログランキングをみる

 

 

ブログランキングに参加してみました!

よろしければ応援お願いします…!


人気ブログランキング

 

 

シェアする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。